護良親王はどんな人物だった?
アニメ「逃げ上手の若君」の第6話「盗め綸旨、小笠原館の夜」の考察です。
後醍醐天皇サイドにどえらいイケメンが出てきたけど、情報が少ないなあ~😓
さすがの頼重さんも不得手な分野だろうし…。
ゆんこ殿、水臭いな!
殿下のことならそれがしにお任せくだされ😉
うわああ!!😱
?
そんなに驚くことないじゃないか😊
で…では尊氏さんお願いします…😓
(4話の目玉が軽くトラウマなんだよなぁ…)
前回の考察はこちら👇
このページはアニメ「逃げ上手の若君」の6話のネタバレを含みます。
6話をご視聴の後で読んでいただると、より楽しめます。
護良親王はどんな人物だった?
殿下について、いくつかお題をあげてみたんだ!
ゆんこ殿、準備はよろしいか?
よろしくお願いします!🥺
護良親王は第116世天台宗座主だった
天台宗は歴史で習いました!
平安仏教の一つですよね。
座主っていうのは一体何なんですか?
簡単に言うと、一番偉い人のことだ。
天台宗全体を統括しているぞ。
では天台宗座主だった殿下が、『太平記』でどう書かれているのか見てみようか😊
これによって大塔の二品親王は、時の貫主にて御坐せしか共、今は行学共に捨はてさせ給て、朝暮只武勇の御嗜の外は他事なし。
(現代語訳)これによって護良親王は、時の天台座主でいらっしゃったけれども、今は修行と学問をともに捨てられて、終日武芸の鍛錬に没頭しておられる。
『太平記』巻第二「南都北嶺行幸事」
天台宗のトップだったわりには、護良親王は修行も勉強もせず鍛錬ばかりしていたみたいですが…。
脳筋だったんですか?😂
第三宮は民部卿三位殿の御腹なり。御幼稚の時より、利根聡明におはせしかば、君御位をばこの宮にこそと思し召したりしかども、
(現代語訳)護良親王は民部卿三位殿の子でした。幼い頃から賢く聡明であったため、後醍醐天皇はこの宮に皇位を継がせようとお考えになりましたが、
『太平記』巻第一「儲王御事」
無礼ですぞ!!
殿下は非常に聡明で、帝も殿下を後継者にと思っておられた。
鍛錬ばかりしていたのは理由があったんだ。
後に思い合わするにこそ、東夷征罰の為に、御身を習わされける武芸の道とは知られたれ。
(現代語訳)後になって考えてみると、ただ鎌倉幕府征伐のために、身をもって武芸の道を習われていたのだと思い知らされるのでした。
『太平記』巻第二「南都北嶺行幸事」
全ては幕府征伐のためですか…。
護良親王はこの頃から、倒幕を志していたんですねぇ。
殿下が座主に就任されたことで、帝も寺社勢力を取り込むことができたんだ。
だったら護良親王が尊氏さんの前に現れた時、頭を丸めてなかったのは何故ですか?
かかる所に、先帝の御子、山の座主にておわしける大塔の宮御還俗ありて、兵部卿親王護良とぞ申しける。
(現代語訳)そのような状況の中で、後醍醐天皇の御子であり、天台宗座主であった大塔宮が還俗し、兵部卿親王護良と名乗りました。
『梅松論』上
帝の隠岐配流中、殿下は倒幕運動の中心となって活躍している。
その時に還俗したみたいだね。
確かその頃って、高氏さんは鎌倉幕府側…。
何か言ったか?😊
い、いいえ!
何でもないです!
(笑顔が怖いよぉ…😭)
倒幕の立役者として征夷大将人軍に任命される
尊氏「これは殿下!将軍ご就任、謹んでお祝い申し上げます!」
アニメ「逃げ上手の若君」6話「盗め綸旨、小笠原館の夜」
お~、征夷大将軍ってすごいですね
殿下や楠木正成が奮闘してくれたおかげで、帝が隠岐から脱出し、各地の有力御家人が幕府から離反することになったんだ。
殿下が倒幕の立役者といっても過言ではないぞ😉
鎌倉幕府を滅ぼした時、尊氏さんは六波羅探題を攻め落とすために京にいたんですよね。
他には誰がいたんですか?
確か赤松円心とか佐々木道誉がいたね。
「そればかりか新田義貞に嫡男・千寿王を預け総大将とし、この鎌倉にも軍を向かわせているとのこと!」
アニメ「逃げ上手の若君」1話「5月22日」
そして鎌倉の方には、新田義貞と名目上の大将とした千寿王がいたというわけですね。
尊氏との権力闘争に敗れる
後醍醐天皇の御子で征夷大将軍なら、尊氏さんとの権力闘争に負けるっておかしくないですか?
同じき十三日に可有御入洛被定たりしが、無其事と、延引あって、被召諸国兵、作楯砥鏃、合戦の御用意ありと聞こえしかば、誰が身の上とは知らねども、京中の武士の心中更に不穏。
(現代語訳)同じく元弘三年(1333年)、護良親王は六月十三日に京都に入られる予定でしたが、それは実現せず延期されました。そして諸国の兵を召し集め、盾や鏃を作り、合戦の準備をしていると聞こえてきたので、一体誰の身に関わることかは分からないものの、京中の武士たちの心中はまったく穏やかではありませんでした。
『太平記』巻第十二「公家一統政道事」
まだ殿下が征夷大将軍に任命される前のことなんだが、殿下が入洛せずに兵を集めていたことがあったんだ。
護良親王は何でそんなことを…?
今四海一時に定まって万民誇無事化、依陛下休明徳、由微臣籌策功矣。しかるに足利治部大輔高氏僅かに以一戦功、欲立其志於万人上。今もし乗其勢微不討之、取高時法師逆悪加高氏威勢上に、者なるべし。
(現代語訳)今、天下が一時に平定され、万民が平和を喜んでいるのは、陛下の寛大で聡明な徳によるものであり、私の巡らせた些細な計略によるものです。しかし高氏はわずか一度の戦功によって、野心をもって人々を支配しようとしています。今、その勢いが小さいうちに高氏を討たなければ、北条高時のような悪逆が再び高氏によって行われることになるでしょう。
『太平記』巻第十二「公家一統政道事」
何でも、それがしが帝を脅かす存在になるって勘違いされていたみたいで。
ハッハッハッ。
へ、ヘェ~。
ソウナンダァ…😓
1335年:尊氏、後醍醐天皇を裏切る
結局、帝はそれがしより殿下の方を警戒された。
その結果、たった数か月で殿下は征夷大将軍は解任されてしまったんだ。
尊氏の人並外れた武力の秘密は?
尊氏「殿下!」
「尊氏だ!」「ぶち殺せ!」
尊氏「どうかお気を、お鎮めに」
アニメ「逃げ上手の若君」6話「盗め綸旨、小笠原館の夜」
いや、どう考えてもおかしいやろ!!😱
?
?
じゃありませんよ!
尊氏さん強すぎるじゃないですか!!
あぁ。
もしかしたら八幡大菩薩の加護があるからかもしれない!
高氏「我らに八幡大菩薩のご加護を!」
アニメ「逃げ上手の若君」1話「5月22日」
そういえば、1話でも何か言ってましたね🤔
納得してもらえたかな?
いや、無理がありますよ!
八幡大菩薩に祈る武士全員が尊氏さんと同じ武力を持ってるわけじゃないですし…。
では私の祖父・家時のおかげかもしれないな。
若くして自害したんだが、置き文が残っているんだ。
家時は八幡大菩薩に祈願し自害
さればまた義家の御置文に云、我七代の孫に吾生かわりて天下を取べしと仰せられしは家時の御代に当たり、なおも時来らず、事をしろしめしかればにや。 八幡大菩薩に祈申たまいて、我命をつづめて三代の中にて、天下をとらしめたまえと御腹を切たまいしなり。
(現代語訳)それゆえに、また義家の置文には、「私は七代後の孫に生まれ変わって天下を取るだろう」と書かれており、それが家時の時代に当たる。しかし、まだその時が来ていないことを悟ったため、八幡大菩薩に祈りを捧げ、「私の命を縮めて、三代のうちに天下を取らせてください」と願い、自ら腹を切って命を絶ったのです。
『難太平記』
自害って…。
そこまでしないとダメなんですか?
そんな重いお願いされたら、八幡大菩薩も困っちゃいますよ!
私が八幡大菩薩の強い加護を受けている理由としては十分ではないかな?
大体「何代後に天下を取る」とかいう伝承って、正当性を示すために後から付け足したことが多いですし😅
…ではゆんこ殿は、それがしが口から出まかせを言っていると?
いいいいいいえ、滅相もない!!🤤
6話の感想
護良親王が権力闘争に敗れていくまでのお話と、尊氏が何故あれほどの武力を有しているかについて書いてみましたがいかがだったでしょうか?
「八幡大菩薩の加護がある」というのは、私自身はかなり無理がある話だと思っています😅
皆さんもご覧になったかと思いますが、昨日までの味方が尊氏に寝返るほどの異常なカリスマ性、人の枠から外れた武力、どちらも神仏の皮を被った鬼としか思えないんですよ。
時行、こんなのに勝てるのかなぁ…😢
そんな尊氏の死因は背中の腫れ物であるとされています。
正直なところ、あれだけの強さを誇る尊氏が腫れ物で死ぬなんて想像できないですw
そこに「逃げ上手の若君」はどんなドラマを見せてくれるんでしょうか?
腫れ物は時行が一矢報いた結果なのか、それとも人ならざる力の代償として描かれるのか、結末が分かっているようで想像できないのが、「逃げ上手の若君」の魅力の一つかもしれませんね😍
あ、ゆんこ殿!
今日の記念に手土産を一つ!
え!
いいんですか?
尊氏さん、気前がいいって噂は本当だったんだぁ😍
心底いらない!!!😭
次回の考察はこちら👇
コメント