史実における主要キャラの最期をまとめました
アニメ「逃げ上手の若君」の第12話「がんばれ時行、鎌倉奪還のその日まで」の考察です。
負け戦ながら、女子供を無事逃がして味方の犠牲も最小限に撤退することができましたね!
保科党と協力した弧次郎の奮戦や、単身清原国司に斬りかかって敵を攪乱させた吹雪の手腕も見事でした😊
まぁ一方若様は相変わらず、生きるか死ぬかのやりとりにワクワクッ😍て感じでしたがw
今回は逃げ若に登場する主要キャラが、史実ではどんな最期を迎えるのかまとめてみました😊
2期以降も放送されることを願いつつ…!
それでは最後までおつきあいください🎵
前回の考察はこちら👇
このページはアニメ「逃げ上手の若君」の12話のネタバレを含みます。
12話をご視聴の後で読んでいただると、より楽しめます。
史実ではどんな最期なのか?
ここでは逃げ若に登場する人物たちが、史実ではどんな最期を迎えるのかをまとめています。
基本は公式ホームページにある登場人物の並び順となっています。
北条時行
文和2年(1353年)5月20日、足利方に捕らえられ、長崎駿河四郎と工藤二郎と共に龍ノ口(神奈川県藤沢市)で処刑される。
ED冒頭に登場する供養塔は時行のものとされています(長野県大鹿村)。
しかし場所が斜面が急な山の中かつ私有地内で、熊も出現するらしく大変危険です🐻
決して立ち入らないようにお願いいたします!
祢津弧次郎・望月亜也子・雫・玄蕃・吹雪
逃若党の「祢津弧次郎」「望月亜也子」「雫」「玄蕃」「吹雪」に関しては、実在の人物ではない可能性があるため、どのような最期を迎えるかは不明です。
吹雪の出自に関しては、足利直義の養子になった尊氏の子・足利直冬とかだったら面白いな~と思います😊
諏訪頼重
建武2年(1335年)8月19日、中先代の乱において尊氏に敗れ、子・時継ら43人と勝長寿院で自害。
諏方三河守を始として宗との大名四十三人、大御堂の内に走入り、同く皆自害して名を滅亡の跡にぞ留めける。其死骸を見るに、皆面の皮を剥で何れをそれとも見分ざれば、相摸次郎時行も、定て此内にぞ在らんと、聞人哀れを催しけり。
(現代語訳)諏訪頼重をはじめとした有力な大名四十三人は、大御堂の中に逃げ込み、皆一緒に自害して名を滅亡の跡に残しました。その死体を見ると、皆顔の皮を剥いでいたため、誰がどの人か見分けがつかず、相模次郎時行もきっとこの中にいるのだろうと、聞く人の涙を誘いました。
『太平記』巻十三「足利殿東国下向事付時行滅亡事」
1335年、時行を奉じて中先代の乱を起こし、7月25日に鎌倉を奪還。
しかし直義軍と合流した尊氏によって、時行軍は立て続けに敗れ、8月19日辻堂で敗れた頼重は、子の時継らと共に勝長寿院にて自害します。
顔の皮を剝いでいたのは時行を逃がすためでしょうか…。
足利尊氏
延文3年(1358年)4月30日、背中の腫れ物により、京都二条万里小路第で病死。享年54歳。
同年四月二十日、尊氏卿背に癰瘡出て、心地不例御坐ければ、本道・外科の医師数を尽して参集る。倉公・華他が術を尽し、君臣佐使の薬を施し奉れ共更無験。
(現代語訳)同年4月20日、尊氏公の背中に腫れ物ができ、体調を崩されました。内科・外科の医師を多数集め、名医の技術を尽くし、様々な薬を用いましたが、効き目はありませんでした。
『太平記』巻三十三「将軍御逝去事」
殺しても死ななそうな尊氏ですが、何と背中の腫れ物が原因だったようです。
廿二日庚寅 晴 鎌倉大納言此間有腫物事自昨日聊有増氣
二十三日辛夘時々雨降 大樹蚊触事以専使訪之畏承由有返答
(現代語訳)
『愚管記』巻二
二十二日庚寅晴れ 尊氏が最近腫れ物ができたことについて、昨日からやや悪化したそうだ。
二十三日辛夘時々雨 尊氏が蚊に刺されたことについて、使者を遣わして尋ねたところ、畏れ多いと返答がありました。
『愚管記』には蚊に刺されたことについて書かれています。
そういえばアニメ9話で、雫が吹き矢を使っていましたね。
雫…まさか君が尊氏をやるんか…!?
といった妄想が捗ります😊
小笠原貞宗
正平2年(1347年)5月26日、京都で死去。享年56歳。
実は「逃げ若」の中で一番好きなキャラですw
たま~にカッコいいのずるい😍
諏訪盛高
*諏訪盛高は諏訪頼重と同一人物と言われているため、割愛します。
市河助房
不明。
廿二日、市河助房、高井郡中野郷内西條・志久見郷惣領職等ヲ、子松王丸頼房ニ譲ル
(現代語訳)22日、市河助房は、高井郡中野郷内の西条・志久見郷の惣領職などを、息子の松王丸頼房に譲った。
『市河文書』
康永二年(1343年)、助房は惣領職を息子の頼房に譲った後どうなったか分かりません。
瘴奸
不明。
楠木正成と共に戦った描写があるため、平野将監ではないかと思われます。
平野将監は1333年、京都の六条河原で処刑されています。
保科弥三郎・四宮左衛門太郎
不明。
『市河文書』に名前が出てきますが、その後どうなったか分かりません。
ただ『諏訪御符礼之古書』に保科氏の一族が諏訪大社の祭礼に深く関わったことが書かれており、室町中期にも保科の記述があります。
弥三郎との血縁関係が証明されているわけではありませんが、ひょっとしたら保科氏は生き上手としてしぶとく時代を生き抜いたのかもしれませんね。
清原信濃守
不明。
金勝院本云、諏訪前祝部参河守頼重、時行ヲ取立テ、国司博士左近少将入道ノ許ヘ押寄ケレハ、少将入道自害セラレケリ
(現代語訳)金勝院本によれば、諏訪頼重が時行を擁立して、国司博士左近少将入道(清原真人某)のもとに押し寄せたところ、少将入道は自害したそうだ。
『参考太平記』巻十三「中前代蜂起附成良親王鎌倉御没落事」
清原信濃守は『参考太平記』に登場する左近少将入道と同一人物ではないかと言われています。
左近少将入道は中先代の乱(1335年)の時に自害しています。
12話の感想
逃げ若のキャラが史実ではどういう最期を迎えるのか?をお届けましたがいかがだったでしょうか?
個人的には護良親王や足利直義といったキャラの最期も書きたかったので、そのうち加筆するかもしれません😍
アニメ「逃げ上手の若君」を考察するにあたって、「北条時行は実在する人物なんだ…」からスタートしたので、資料集めには苦労しました。
この時代の史料自体が少ないため、国立国会図書館デジタルコレクションで史料を閲覧したりと四苦八苦してましたね~。
この作品が素晴らしいなと思うのが、「キャラが全員濃い」ということです😂
私が学生の頃、歴史の授業で「名前が似ていて覚えきれない…」ということがしょっちゅうあったので、この作品において全員が個性溢れるキャラだったのは幸いでした😍
平氏の〇盛の多さや、世界史のルイ〇世とか苦労した記憶ありますね~🤣
南北朝時代に関しても、鎌倉と室町の間にある「二つの朝廷が存在した時代」くらいの認識だったのですが、「南北朝の対立を通して、日本の統治構造や社会秩序が大きく変化した時代」だったことが分かりました。
学校の授業を思い出したり、マニアックな史料を漁ったりと、学びの多いアニメでしたね~。
史料の少なさは考察泣かせなのですが、空白があるからこそ松井先生やアニメ制作陣の遊び心が光る作品になりえたのかなと思っています😊
逃げることに興奮を覚える若様を見て、何かに目覚めてしまった方も多そうだなという心配はありますが、2期以降も期待していきたいですね。
やっぱり中先代の乱まで見たいよ~!
それではここまでお付き合いくださりありがとうございました。
また別の考察で皆さんとお会い出来たら嬉しいです😍
9/21より 鎌倉歴史文化交流館で鎌倉幕府滅亡展開催中です
・『太平記絵巻』(巻2)(異形のものと踊る北条高時)
— 鎌倉歴史文化交流館【公式】 (@kamakura_kmhc) September 10, 2024
・円成寺跡出土品(竹製柄杓・茶臼など)
【後期】10/28(月)~
・『太平記絵巻』(巻2)(千早城の戦い)
・『太平記絵巻』(巻7 複製)(新田義貞自害)
・北条時行奉行等連署状 ※前期はパネル
・円成寺跡出土品(風炉・十能など) pic.twitter.com/Z0JP9UQlwN
鎌倉歴史文化交流館では、企画展「北条氏150年 栄華の果てー鎌倉幕府滅亡ー」を開催中です!
『太平記絵巻』巻第二の「異形のものと踊る北条高時」など、高時の味わい深い顔が不思議と後を引く作品となっております。
他にも『太平記絵巻』巻第七には時行の名前(相模次郎)が記されていたり、中先代の乱で鎌倉を奪還した際に書かれた「北条時行奉行等連署状」など、歴史的に価値のあるものが展示されています。
鎌倉にお越しの際には、是非鎌倉歴史文化交流館にお立ち寄りください😍
ただし鎌倉歴史文化交流館は日・祝日が休館となっています。
営業しているか確認してから行きましょう!
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