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【考察】平家物語 #6 都を襲う怪異。清盛が重盛への思いを語る

平家物語

頼朝の登場、そして富士川での敗戦

アニメ「平家物語」の6話「都遷り」の考察ページです。

6話は福原への遷都から始まりました。

いとこ違いの敦盛との出会いや、清盛が早逝した重盛への思いを語る場面など、平家一門の交流が描かれます。

一方で、平家を滅ぼす引き金となる源頼朝の登場、そして維盛を総大将とする富士川の戦いでの大敗など、平家滅亡の足音が少しずつ近づいてきました。

この記事で分かること
  • 平敦盛がどういう人物なのか
  • 清盛邸で起こった怪異は実際の『平家物語』ではどう描かれているか
  • 文覚流されすぎ問題
  • 源頼朝は何故殺されなかったのか?
  • 富士川の戦いについて

今回はこういったことをテーマに、6話を振り返っていこうと思います!

前回の考察はこちら。

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平敦盛登場

今回初登場の敦盛です。

鳥羽院(鳥羽天皇)から賜った小枝さえだという笛を持っています。

小枝は「こえだ」ではなく「さえだ」と読みます。
森永のお菓子じゃないので気をつけてくださいね🤤

敦盛は清盛の異母兄弟の経盛の息子です。

図の方が分かりやすいと思うので、家系図miniをご用意しました。

敦盛は、清盛の甥・重盛の従弟・資盛たちのいとこ違いということになります。

福原の浜で出会ったとき、資盛19歳、清経17歳、敦盛は11歳です。
敦盛は軍記物語が大好きなあどけない少年でしたね。

家系図にある池禅尼と家盛は、後に語る「源頼朝は何故殺されなかったのか?」に出てきます。

清盛邸の怪異

福原に都を移してから、清盛邸では物の怪による変事が相次ぎます。

実際の『平家物語』ではどのように描かれているか見てみましょう。

かくして多くの髑髏ども一つに固まり合ひ、坪の内に憚るほどになつて、高さは十四五丈もあるらんとおぼゆるが、山のごとくになりにけり。かの一つの大頭に、生きたる人の眼のやうに、大の目どもが千万出で来て、入道相国をはたと睨まへて、またたきもせず。入道ちつとも騒がず、ちやうど睨まへて暫く立たれたりければ、かの大頭余りに強う睨まれ奉て、露霜などの日に当たつて消ゆるやうに、跡形もなくなりにけり。

(現代語訳)こうして多くの髑髏どもが一つに固まりあい、中庭に入りきれないほどになって、高さは十四・五丈もあろうかと思える山のようになった。生きている人の目のような、大きな目が千万ほども現れて、清盛をじっと睨んでまばたきもしない。清盛は少しも騒ぎ立てず、はたと睨んでしばらく立っていると、その大頭はあまりに強く睨まれて、露霜などが日に当たって消えるように、跡形もなくなってしまった。

『平家物語 巻第五』物怪之沙汰
ゆんこ
ゆんこ

物の怪をものともしない清盛の毅然とした態度に痺れますね!

また、馬の尾にネズミが一夜で巣を作り子を産んだという話ですが、昔天智天皇の時にも同じことがあり、その時には異国の凶賊が蜂起したと『日本書紀』に記されているそうです

この出来事は、頼朝の挙兵の前触れだったのではないかと思います。

流されすぎ?文覚登場

義朝のサレコウベと後白河法皇の院宣を持って現れた怪しげな僧侶は文覚もんがくといいます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では市川猿之助さんが演じてらっしゃいます。

愚管抄ぐかんしょう』には、「文覚は行動力はあるが学がなく、浅ましく人の悪口を言い、天狗を祀る」と書かれていたり、無茶苦茶な修行をしたりと、当時から変わり者だったようですw

*愚管抄は鎌倉時代の史論書です。

  • 後白河法皇の御所で乱闘し、伊豆へ島流し
  • 三左衛門事件で関与を疑われ、佐渡へ島流し
  • 後鳥羽上皇に謀反の疑いをかけられ、対馬に島流し
ゆんこ
ゆんこ

流されすぎ!!

(左)平六代、(中央)藤原成親次女、(右)平維盛

文覚は壇ノ浦の戦いの後、維盛の嫡男・六代の助命嘆願をしたり、平家とも関わりがある人物なので、今後も登場するかもしれませんね。

何故頼朝は殺されなかったのか?

源頼朝が舅の北条時政と挙兵したと聞き、清盛は怒り心頭です。

命は助け、流罪にしてやったのに、その恩を忘れるとは何事か!!

そもそも、何故頼朝は死罪にならなかったのでしょうか?

ひとめで分かる!【図説】アニメ「平家物語」より。

平治の乱で源頼朝の父・義朝が敗れた時、頼朝は死罪になるはずでした。(当時頼朝12歳)

そこに清盛の父・忠盛の正室であり、清盛にとって継母である池禅尼(藤原宗子)が、「若くして亡くなった家盛と頼朝が生き写しだ」と言って、断食してまで助命に奔走したそうです。

さすがの清盛も、頼朝を殺すことが出来ず、伊豆への流罪としました。

ゆんこ
ゆんこ

この時頼朝を生かしたことが平家滅亡を招くとは、清盛も思っていなかったでしょうね。

ただ私は、頼朝がいなくても、別の誰かが打倒平家の旗頭として担ぎ上げられて、平家は滅んでいたのではないかなと思います。

富士川の戦い

源頼朝が力をつける前にと、清盛は維盛を総大将として頼朝討伐に向かわせました。

しかし、水鳥の飛び立つ音に驚いた平家の兵士は、慌てふためき逃亡してしまいます。

この時の様子を歌った琵琶語りのシーンの現代語訳はこちらの記事をご覧ください。

維盛の肩を持つようですが、富士川の戦いで平家が大敗を喫したのにはさまざまな原因がありました。

  • 頼朝が挙兵して1か月経っていた(頼朝は準備期間があった)
  • 飢饉で兵糧不足のため、平家軍の兵士の士気は低かった
  • 平家軍の兵士は遠征の途中で徴兵した駆武者が多かった(寄せ集めの兵で、平家に忠誠を誓っているわけではない)
  • 平家軍はその後脱走兵が続出し、数千騎になっていた
  • 頼朝は石橋山で敗れるも、その後有力豪族を仲間に引き入れ、数万の大軍だった
ゆんこ
ゆんこ

圧倒的に数で不利だったんですね~💦

(左)斎藤実盛(中央)藤原忠清(右)平維盛

維盛の後見役として出陣していた実盛は、坂東武者の勇猛さを語り、維盛以下味方の士気を下げまくったとか・・・。

さらに戦が始まるのを恐れて人民百姓が山や海に逃れ、炊事の火をおこしていたのですが、それを源氏の大軍だと勘違いします。

こういった背景もあり、平家軍は戦う前から士気が低く、奇襲に対して神経質になっていたものと思われます。

2話で鳥にびっくりする維盛の姿がある

逃げ帰った維盛に対し、当然清盛は激怒。

藤原忠清は死罪、維盛は鬼界ヶ島に流すよう言いますが、周囲のとりなしにより許されます。

それどころか何故か維盛は権亮少将から右近衛中将に昇進します

ゆんこ
ゆんこ

いや、なんでやねーーん!!

特に手柄を挙げたわけでもないのに、この謎人事。

重盛は殿下乗合事件の後に息子の資盛に謹慎を命じています。

重盛がいたら、こんな人事絶対しなかっただろうなと思ってしまいますね。

一方戦わずして勝った頼朝は、黄瀬川の陣で、弟・義経と涙の対面を果たしています。

こうして源氏側は着実に力をつけていったのです。

小ネタ:今週の梁塵秘抄

後白河法皇を訪ねた徳子が今様の一節を詠うシーンがあります。

るにこころむものは やしろ壊れて禰宜ねぎもなく ほうりなき 野中のなかどうのまたやぶれたる まぬ式部しきぶいの

*禰宜・祝は神官の職称。

見ると心が澄むものは、神主も堂守もいなくなって荒廃した社やお堂、子供のいないまま老いた女房。

ここで言う「澄む」はくもりや濁りがとれて明らかとなることを指します。

滅びの様を見ると事物の本質がはっきり見えて来るということを詠っています。

6話の感想

金がないのに使うばかりで手を打たず、各地で反乱が起こっても収めることもできず、何もできぬ貴族と偉そうにするばかりの坊主が支配する、身分と権威が全ての世を我らは変えた。

息苦しい世界に風穴を開けたのだ。

6話では、清盛が重盛への思いや自らの理想の世界を語ります。

こうしてみると、清盛も富と権力を追い求めた大悪人というより、普通に子を想う親であったり、今の世の中を何とかして変えてやろうという志を持った人だったのかなと思ってしまいますね。

このキャストインタビューの中で、後白河法皇役を務める千葉茂さんがこう言っています。

そこにしっかりと人が生きてて生活をしてて、悩み苦しみながらでも笑いながら、そこでしっかり時代に地に足をつけて生きてた人たちがこれだけいたんだと。
その歴史を紡いで紡いで紡いでいった先に今があるというような風に感じてもらえたらいいなと思うんですね。

未来を知るびわを通して、私たちは彼らと「共に生き」、彼らが紡いできた「先を生きる」人間として再認識させられるような気がします。

平清盛役・玄田哲章さんと後白河法皇役・千葉繁さんのスペシャル対談が掲載されています

そういえば、びわが拾った猫も気になっています。

今後のストーリーに大きく絡みそうな予感がしますね!

次の話の考察を読む。

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